先祖供養について
一般的に考えられていること
1.「ご先祖を供養すること」が宗教行為だと思っている人が多いのでは?
2.私と宗教との接点は、お墓参りとか、○○さんの年回法要といったことからでは?
3.先祖のおかげで「今のわたし」がいる。先祖のまつりごとをしないと、何かたたりが
おこるかも?
ということではないでしょうか。
仏教、その基本的な考えというのは
1.仏教はいうまでもなく、お釈迦様の教えです。
と同時に
このわたしが「仏になるみ教えです」
2.「人生は苦なり」という実感がお釈迦様の心を揺り動かしたのです。
3.わたしの「苦」これを「迷い」・「煩悩」といいます。
この迷い(煩悩)を転じて悟りを開く(転迷開悟) これが仏教の目的です。
どんな仏教でもそうです。
浄土真宗では「先祖供養」を、どのように考えるか。
1.親子・兄弟・力合わせて仲良く暮らしていきたい、いかねば、と思っているわけです
が、
何かの縁があれば、憎しみ合う関係になるのが、わたしの姿です。(縁起の世界)
2.朝、笑顔のわたしが、縁あれば午後は苦虫つぶした顔つきになる、そんなわたしに
先祖を供養する「力」は何ひとつ持ち合わせておりません。
3.「月命日のお参り」や「年回法要」で「お経」をいただくわけですが、決して亡くなった方
のためではありません。
わたしが「仏になる」そのご縁を亡くなった方が作ってくださっているのです。
けれど信仰の対象ではありません。「お経」はこのわたしのためにいただくのです。
4.亡くなった方と同様にわたしも「往生浄土」の歩みをさせていただきます。
というお念仏相続の姿が法要です。
5.先立ったご先祖が残りし者を困らす(たたる)ようなことは断じてありません。
むしろ「お念仏を喜んでおくれよ」「後生の一大事を心にかけて日々暮らしておくれよ」
の姿です。
(○○日に亡くなった方のまつりごとができていません。
あなたのお家が上手くいかないのはそのせいです。
なんとかしなければこれからますます・・・・という言葉で迷わす事が後を絶ちません。
この内容は宗教ではありません。
人の弱みにつけ込んだ、商売に他なりません。)
=参考=
浄土真宗では次のような言い方・考え方はしません。
○追善供養 煩悩いっぱいのわたしにはできません。
○除霊供養・御霊前 霊の考え方はお釈迦様の考え方にはありません。
○冥福を祈る 冥福の意味は「迷いの世界」です。
○お守り・お札 祈願・祈祷という考えはしません。
ちなみに、お守りが売っていないお寺は「浄土真宗」だけです。


先祖供養について