「心豊かに生きるために」(教育間題について考える)

「こんな私でも、生きていていいんですか?」と、子どもたちに言わせるほど、今の世の中は、子どもたちにとって生きにくいものなのでしょうか。
世界中には、貧困のために空腹にあえぐ子どもや十分な医療を受けられずに、幼い命を失っていく子どもたちが大勢います。
そんな中で日本は経済的には世界第2位に位置づけられていながら、これほど多くの子どもたちが、生きることに自信を持てずに苦しんでいます。
今の世の中は、大人にとっても生きにくいところだからこそ、精神的に未成熟な子どもたちがその犠牲になっていると考えた方がいいと思います。
「いじめ」「自死」「不登校」「ネグレクト」「児童虐待」「ネット上の書き込み」等々、子どもにかかわる間題があとを絶ちません。
どうして次々とこのような問題が起きるのでしょうか。
また、その解決に向けて私たちは子どもたちにどのような力を育んでいかなければならないのでしょうか。
いまの日本の子どもは厳しい状況に置かれています。
中でも、いじめ間題は後を絶たず、ますます凶悪化し、潜在化しています。
「『やめろよ、そんなこと』とそのひと言がぼくの人生をめちゃくちゃにした。でも、ぼくは決して後悔しない」といじめにあっている友だちをかばったことから、よりひどいいじめの標的になった小学校5年生の子がいました。
その子は、その後クラス全員に無視され暴力をふるわれる日々が卒業まで続いたのです。ところがそのストレスが原因となって心はずたずたに引き裂かれ、一生治らないチック症を負うはめになったのです。学校にも家族にも全く理解されず孤立した彼は、社会からも受け入れられない絶望感の中で、遂に死を選びます。
しかし、奇跡的に助かった彼は、その後、「自分の生かされた理由」をずっと考えていったのです。
「いじめ」の原因は、いじめる子自身が大人社会からいじめられていて、その抑圧された気持ちを、より弱い子どもにぶつけていると考えられます。
また、同じ状況で余裕のない生活を強いられている大人も、子どもをしっかりと護り育てるという状態にありません。
このような親に愛されるには、素直な感情を自分の内に抑え、親の目に「いい子」を演じなければなりません。
このような形で子どもたちは長年、親や周囲に気遣い、疲れきっているのです。そうした状態が、他の人に対する「思いやりの心」を失わせ、心を無視した言葉を投げつけたり、集団の中で1人だけを無視するといった「いじめ」を生み出すのです。
「いじめ」を乗り越える子どもになるには、この余裕のない疲れきった状態、つまり、こころの寂しさを支えていくこと以外にはありません。
いじめっ子にも、いじめられっ子にも、それぞれ個別に個人的に思いやりをもって援助していくことが大切です。
思いやりとは、相手の身になって考えたり、感じたりし、それぞれの寂しさや悲しみにそっと寄り添いながら、その人を尊重し、その人の気持ちを理解していこうと努力を続けるということです。
あなたはあなたらしく、そのままでいいのだよと、子どもたちは自分の存在が認められ、理解してもらえる人がいて初めてこころが休まり、いじめを乗り越えていこうとする力を得るのです。

童謡詩人の金子みすずさんの作品に、「私と小鳥と鈴と」というのがあります。

「私と小鳥と鈴と

私が両手をひろげても、
お空はちっとも飛べないが、
飛べる小鳥は私のように、
地べたを速くは走れない、
私がからだをゆすっても、
きれいな音は出ないけど、
あの鳴る鈴は私のやうに、
たくさんな唄は知らないよ。
鈴と、小鳥と、それから私、
みんなちがって、みんないい。


この世の生きとし生けるものすべては、いのち恵まれて生きています。そのいのちの一つ一つ、それぞれに、すばらしいいのちの輝きがあるのだと、みすずさんはうたいます。
要するに、他人と比べることを良しとする「ナンバー・ワン」よりも、どの人の存在もすばらしいと認める「オンリー・ワン」という見方、つまり「みんなちがって、みんないい」という考え方が大切だと思います。
そして、今一番確かなことは、苦しみや悲しみいっぱいのそんなあなただからこそ、「見捨てたりしないで、かならず救いとってくださる阿弥陀仏さまが、いつどこでもついていてくださる」ということに目覚められることです。
それは、「あなたはこの世で必要とされるただ一人のなくてはならない存在なんだよ」、「しかも、そんなあなたを必ず救うぞよ」と云われる方がおられるということに気づいていってほしいということであります。

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